ロートレックから思うこと
見事なまでの曇天。
不安定ながらも絶妙な均衡。
雨粒が溢れそうで溢れない。
そんな空は、コーヒーを蒸らしている時間に似ていると思いました。
当店にはたくさんの絵葉書といくらかの画集があるので、お客さまと絵の話をすることがあります。
その中で、「どの画家が一番好き?」と訊かれることもあります。
ロートレックが一番好きです。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック。
パリ周辺の歓楽街のポスターを作品として多く遺しましたが、ポスター画を芸術の域に高めた人とも言われます。
その生き様は画家だけに絵に描いたような破滅型。
貴族出身、裕福な家庭に生まれたものの、骨の病から父親に疎まれ、追われるようにパリに出たロートレック。
酒毒に溺れた挙句の36歳という短い生涯でしたが、不思議と悲壮感はありません。
彼が遺した、
"人間は醜い。されど人生は美しい"
という言葉は、僕の道標のひとつ。
説明が長くなりましたが、ロートレックへの愛を語りたいわけではありません。
10年ほど前までは、好きな画家はと問われれば、開口一番「マルク・シャガール!」と答えていました。
その頃すでにロートレックに出会っていましたが、そんなに気になるわけでもなくて。
自分自身の変化。
僕は「自分の成長」には全く興味がありません。
成長は退化と表裏。なんというか、あやふや。
自分にとって成長って何なのかよく分からない。
どこかが伸びたと感じても、その分何かが縮んだり欠けたりしている気がして。
上に昇る、扉を開くことだけが成長なのか。
下に潜る、何かを閉ざすことは成長と呼べないのか。
僕には分かりません。
興味があるのは、変化。
否が応でも毎日付き合う自分自身の変化は、何よりも気づきにくいものです。
容姿にしろ、考え方にしろ。
それは日時計の進みのように、一見変わっていないようにも見えるけれど、確実にジリジリと変わっていくもの。
でも、ふと「好きなものが変わっている」ことに気づいたとき、変化の自覚を手にするような気がします。
シャガールからロートレックへ。
周囲の環境変化、自分自身が触れたもの。
それがゆっくり血となり肉となり、あるいは毒のように体を蝕み、変えてゆく。
もしかすると、来年にはゴッホが好きになっているかもしれません。
そして最後には、普通にラッセンが好きと言うかもしれない。
さて、明日は定休日です。
また来週月曜日、敬老の日より、皆さまのご来店をお待ちしております。
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