播州の英雄

播州が生んだ奇才、横尾忠則。大ファンです。
絵やコラージュ作品も好きですが、文章やインタビュー記事が大好物です。
使う言葉の調子が面白い。

あの朴訥な街、西脇市からこんな方が輩出されるとは。不思議です。


そういえば、先週ちょっとした騒動がありましたね。
"故郷・西脇市の美術館で特別展を開催するための作品の製作日に、画材を提供する職員が30分遅刻したために製作意欲を削がれたとして個展は延期に"
というニュース。

色々思うことを書きますが、読む方にとっては不快に感じられるかもしれません。どうかご笑殺ください。


僕は率直に、「この職員、サイアクだな」と思いました。
そして、ネット記事のコメントなどを見ていると、「たかが30分で」「老害だ」「これだから芸術家は」といった意見が多いことに驚きました。


「悪い」のは職員の方であることは確かだと思う。
この「30分」が、どこか人を惑わせる絶妙な時間。

「本当は画材を持った職員が到着したのは定刻だが、別の職員が横尾忠則を早い時間に迎えに行った」という報道も見ましたが、確かなことは分かりません。
だとしても、職員同士のコンタクトミスによる失態だと思うけれど。


こういうときの芸術家って、すごく特殊な状態だと思う。
色んな方がいるでしょうが、製作にあたって神経を極限まで研ぎ澄ます人もいるでしょう。
ナーバスになって当然だと思う。
横尾忠則がどんな状態で製作に取り組む方かまでは知らないけれど、
「◯時きっかりから、オレはやるぞ!」と張り詰めていても不思議じゃない。
だからこそ、横尾忠則からの要望か送迎の職員の気遣いかは分かりませんが、早めに迎えに行ったんじゃないかと。

そこに「画材を持った職員が少し遅れます」なんて言われたら、風船が針のひと刺しで割れるように意欲が失せても何ら不思議ではない気がします。

「30分ぐらい」という意見もあるでしょうが、
3分だろうが30分だろうが3時間だろうが一緒のような気がします。


芸術家=社会経験がない→世間知らずで気難しい
というステレオタイプは根強いのでしょうか。
横尾忠則は会社員だった頃もあるし、最初から芸術一本で生活できる人なんてひと握り中のひと握りだと聞きます。
そういったステレオタイプを持ち続ける人は、自分の世間しか知らないという世間知らずではないかと思う。
というか、世間を知り尽くしていて気難しくもなんともない、一般人と同じ感性を持った画家の描く絵なんて僕は興味ないなぁ。

もちろん直に接したことがないので断言は出来ませんが、インタビューに触れると、偏屈ではあるけれど不寛容な方ではないと思うんですけどね。横尾忠則。
いちファンとしての肩入れはありますが。

「30分遅刻に激怒」だけが切り取られていますが、それまでに色々積もり積もったものがあったんじゃないの?とも思うし。
そして、さらにうがった見方をすると、この騒動が良いプロモーションになったのでは?とも思う。


最近、社会に寛容さが求められる一方で、不寛容狩りというか、不寛容であることに不寛容な気がしてならない。
かと思えば、芸能人の「法に触れないレベルの不祥事」にはとことん不寛容だったり。

よく、鬼の首をとったように「普通の会社員なら一発で懲戒免職だ!」なんて声高に叫ぶ人がいますが、
「普通の社会」では生きていけないと思うからこそ、芸能人などの特殊な職に就いているんだと思うんです。
もちろん、法は誰にでも平等であることは言うまでもありませんが。
芸術家や芸能人を、一般社会のものさしに当てはめること自体がナンセンスだと僕は常々思います。


長々と色々講釈を垂れましたが、僕は自分に甘く他人に厳しいので、30分遅刻されたら激怒はしませんがネチネチ嫌味を言うと思います。
そして、Instagramの副業勧誘のコメントについては、徹底して不寛容です。

タテイト珈琲店

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