僕のシェヘラザード

寒さが和らいだ途端に、アイスコーヒーが飲みたくなりました。週末からはまた寒くなるようです。
今のうち。


ある日の夜タテ。時間は21:40。
お客さまはお二人。某コーヒー屋さんと、タテイト最高顧問(仮)。
愉快な夜の、笑い声。
そんな笑い声を俄かに止める、玄関のカランコロン。
一人の華奢な女性の姿。Mさんでした。

お客さまから「タテイトに来る人って、おもしろいね」と言われたことがあります。
僕もそう思う。いつもお客さまに楽しませていただいております。

ただ、「誰が一番おもしろいか」と訊かれれば、僕はMさんと即答します。


初めてご来店いただいたときのことはよく覚えています。
オープンから一ヶ月と少し、夏の夕方。
テーブル席でコーヒーを召し上がりながら、当店の蔵書みうらじゅんの「マイ仏教」を熱心に読む女性。
そして本棚を眺めながら、「店主さん、宗教はお好きですか?」と。

やばい、と思いました。確かに僕は宗教が好きです。
それは特定の宗教がどうということではなく、「信仰と生活の結びつき」みたいなものに対する興味。
あらぬ方向に行ってはならぬと、「いや〜…そうですね〜…」なんて言葉を濁す。目は泳ぐ。
Mさんは僕をまっすぐ見て「私は好きです」と。
おぉ…。

そして、中東を旅されたときのことを話してくださいました。
そこで見たもの。
僕たちが「イスラム過激派」と呼ぶ人たちが、家に帰ると"普通のお父さん"だということ。
アメリカ同時多発テロ以来、僕がモヤモヤしていること。
Mさんはその目で確かめ、モヤモヤしている。

少し話を聞いて、「あ、僕、宗教好きなんです。同じような理由で」と白状していました。


アルバニアでジプシーに助けられた話、インドで二ヶ月じっとしていた話、モンゴルでロバを借りてロシア国境まで行ってみた話、3日ほど休みがあったのでふらっとウラジオストクに行った話。全て一人旅。
3日の休みでウラジオストクかー…。

彼女の言葉は僕にとってアラビアンナイトであり、西遊記であり、東方見聞録であり。


体力、行動力はもちろんですが、
彼女の一番凄いところは「何も持ち帰らない」ことかもしれない。
ただ「見てくる」だけ。写真もほとんど無いそうです。
「SNSに載せたらみんな見るのに」と言うと、
「私の旅の写真なんて、誰か興味あるんですか?」
と返されました。
興味津々のおじさんが目の前にいますが。

見てきたことを、添加物ゼロで話してくださる。
僕なら見てきたこと、感じたこと、考えたことを多少話を盛りながら得意げに話すでしょう。講釈を存分に垂れるでしょう。
そう伝えると今度は少し困った顔をして、
「その力が私には無いだけ」と。
Mさんの話はとてもシンプル。薄い薄いフィルター。
だから、僕にとっての最高のジャーナリスト。


21:40。
「まだ灯りが点いていたし、外からお客さんも見えたからテイクアウトぐらいなら大丈夫かなと思って」と入ってこられたMさん。
僕が彼女をテイクアウトで帰すわけがない。

あれからまだ一週間も経っていません。
でも、もしかしたら今頃、この写真のような異国の市場に、大きなリュックを背負った華奢な日本人女性が溶け込んでいるかもしれません。
そういう方。