今年も傘がない

風の強い、3月11日。
8年前のこと。何か書こうとどんなにネタ帳に言葉を並べてみても、僕の心情は結局どこまで行っても井上陽水の「傘がない」なのです。

8年前、確かに悲嘆に暮れ、打ちひしがれました。
でも、目下最大の関心ごとは、目の前の仕事であり週末の天気でありヴィッセル神戸の勝敗でした。
今日の僕も同じく。


多かれ少なかれ、「人間いつ死ぬか分からない」という気持ちを植え付けた大災害だったのだと思います。
だからでしょうか。
「明日死ぬと思って悔いのないように毎日を大切に生きろ」などと言う人が増えたような気がします。

僕はそんな生き方は嫌です。
少なくとも健康な人にとっては極論であり詭弁。
「明日死ぬと思って生きるのなら、こんなところで僕に講釈垂れてる場合じゃないでしょう?」と悪態をつきたくなります。
僕は明日も明後日も来年も5年後も10年後も生きていると信じて今日を生きています。だから明日のデザートの仕込みをせっせとするわけで。

でも、確かに明日死ぬかもしれないというのは真理だし、8年前にテレビ越しではありますが目の当たりにしました。
だから僕は以前より少しだけ刹那的に生きるようになったのかなと思う。

それはきっと、震災を含めた災害、この数年間の親類や友人の死が少なからず影響している。
死に生かされている。
そんな気が少しだけしています。

タテイト珈琲店

Who can tell your story?