小さいころは神さまがいて

さくらももこが亡くなって一ヶ月と少し。
いつも以上にさくらももこのエッセイに手が伸びます。
お客さまに教えていただいたのですが、今、図書館からさくらももこの作品が消えているそうな。
当店にはございますよ。
当店で本を読まれるお客さまは、皆さま手に取られます。

「まる子だった」というエッセイの挿絵として描かれた、この絵が大好きです。
日本の庶民の幸せがギュッと詰まった絵に感じました。


ちびまる子ちゃんの中で一番好きな話は、
「まぼろしの洋館」です。

記憶を辿ると、
夏の暑い日、まる子がたまちゃんとブー太郎と遊んでいると、古い洋館を見つけ、探検(侵入)する。
後日もう一度行こうとするも、いくら探してもその洋館は見つからない。でも、まる子の手にはその洋館から持ち帰ったコルク栓が確かにある…。
といった話だったと思います。細部はすいません。
実家に単行本があるんです。読み返したい。

決して抱腹絶倒という話ではありませんが、とてもノスタルジックな気持ちになる。
思うに、「幼少期あるある」ではないかと。


家の近くのれんげ畑
トンネルの上の公園
一度だけ迷い込んだ謎の集落
三叉路のお地蔵さん
路地裏の映画館
etc…


これらの中には、確かに「在る」「在った」ものもあれば、そもそも「無かった」ものもあるかもしれない。
「在った」けれども記憶が膨らんで脚色されているものかもしれないし、
テレビや本で見たものを自分の記憶として取り込んでしまったものかもしれない。
脳は最高の相棒ですが、信用ならない奴です。


大人と子供って、見ているものや見えているものが違いますよね。明らかに。
視点の高さが違えば、見える範囲も違う。見える範囲が狭いからこそ見えるものもある。

家の近くにあったれんげ畑は、"れんげ畑"と呼べるほど立派なものではなくて、空き地の片隅に少し咲いていただけかもしれない。
れんげですらなかったかもしれない。


いつも「まぼろしの洋館」とセットで思い出すのは、
松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」。

"小さい頃は 神さまがいて"
そういうことなんだと思います。

タテイト珈琲店

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